Girls in Grindhouse

映画と百合とかアイカツが好きなオタクの思想の垂れ流し

君の声を届けたいが今年ワースト入りした話

ネタバレはありません

このブログではいつも「不当な評価を受けている作品」を声高々(か?)に取り上げてきた。

そしてこの「君の声を届けたい」なぜか自分の周りでは絶賛だらけなのである。俺の感性がおかしいのか?と疑うレベルだが今回ばかりは胸を張って俺が正しい、と言いたい。そうしてこの記事を書くに至った

というわけで、俺がどうしてこの映画にダメダメの烙印を押す羽目になったのかを記述していきたいと思う

目次

 1.映像的な歓び/映画である必要の無さ

 

 2.商業ありきの映画臭さ

 

3.総評

 

 

  

1.映像的な歓び/映画である必要の無さ

かの「エル・トポ」や「ホーリー・マウンテン」で知られるアレハンドロ・ホドロフスキーは「ホドロフスキーのDUNE」にて言いました。

映画は映像だからセリフは削れ」

(正確な引用ではないですが意味は大体こんな感じでした)

そう、映像だからこそ出来る表現。映像の歓び。それが本作では一切感じられなかった

 

そして本作は一番やってはいけない事をやってしまった、説明セリフだ。先の引用と真逆を行くものである

レコードを見れば「わぁーレコードだあ」 カエルを見れば「カエル」 ラジオを見れば「ラジオ」

......????? 見ればわかるものを何故一々口にするのでしょうか?別に主人公がそういうキャラだという説明は特にありません。ただの独り言です。どうしてそんな手法を取ったのか、その理由については2部とも繋がるところがあるのでそこで説明します。この一々セリフにする辺りは米林監督作品に通ずるところを感じました。ぶっちゃけ自分はこの最悪な手法にアレルギー反応のようなものがあるので余計に厳しかった

と、いうように映像作品としては最悪です。そもそも「声」を題材にした映画が「映像」と両立するわけがないんですよね。両者は対極にあると言っても過言ではありません。「声」で説明するか「映像」で説明するか。本作は映画でありながら前者を選択してしまった(その理由も後述します)ので、やはり私としては今年ワースト映画なのです。というか、「声」を押し出すならそれこそ劇中で多用されたマクガフィン「ラジオ」を利用してラジオドラマにでもすればよかったんじゃないでしょうか、それくらい映像である意味がないです(ラジオが身振り手振りが伝わらないから言葉でちゃんと伝えないといけない、という一幕があるのですがラジオならレコードがあっても「レコードだ!」という必要があったし本当にラジオドラマにでもするべきだったと思います)

 

2.以前ありきの臭さ/ハードルの高い初見

以前「デスノート Light up the NEW world」を見た際にそれはもうボロクソに貶した。映画単体の出来もなることながら「デスノートっつうブランド使って客呼び込んだろーwww」という制作陣の映画に対する情熱ではなく商業の一環としての姿勢しか感じられなかったからである。

映画中に漂うこの声優推しの商業臭さ、これが鼻についてしまったのもワーストたる所以です...
 
 
3.総評

Twtterで僕がボロクソ言ってると『めっちゃ挑発するんですけど、「映画としては駄目だけど百合としては強い」ってまんまポッピンQじゃない?』

とのご指摘を受けました。正直「???????????」と言った感じです。

以前拙ブログでもポッピンQに関しての記事は書きましたがあちらはキャラクターの感情や物語の進行に合わせて画面のうごきが左右で一貫されている、映像に拘った非常に映画的な作品だ、という記事でした。だから「映画としてはダメ」という部分には異議を唱えます。

この作品を通じて改めてポッピンQのやりたかったこと、その野心の高さ、クオリティの高さを実感しました。他sage他ageは嫌いですが挑発されてキレてるのでアンサーしておきます。まあとりあえずポッピンQを見てください

 

P.S.もしかしたら僕が「君の声を届けたい」から何か見落としていて自らの頭の悪さを露呈してしまっただけなのかもしれません。

なので、「いや、こうこうこうだから君の声を届けたいは素晴らしい映画なんだ」という意見があったらぜひTwitter@nnnaritayanまでよろしくおねがいします。ただし物語がよかった、という指摘だけはやめてください。僕は映像作品の話をしているので。