Girls in Grindhouse

映画と百合とかアイカツが好きなオタクの思想の垂れ流し

「5つ数えれば君の夢」がオールタイムベスト入りした話

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何故かアニメ映画の話ばかりしてきたがたまには真面目に映画の記事を書こうと思う。

 

序文~読み飛ばし可能~

さて、どうも動画配信サイトで見る映画というのは受動的になってしまい垂れ流してしまうフシがある。個人的に「あれがみたいから借りに行こう」と思って向かうレンタルと違い返却期限もないし、1クリックでなんとなくあらすじもろくに知らないまま適当に見れるいわば「暇つぶし」のようなものになってしまっている。

しかしそんな動画配信サイトNetflixで私は半ば事故的に出逢ってしまった、この作品に。

元々、「5つ数えれば君の夢」及び山戸結希監督の名前は「溺れるナイフ」で「よくぞ少女漫画原作ティーン向け商業映画の枠組みをぶち壊しここまでやってくれた!!!!」とガッツポーズし2016年のベスト10にも入れた、という事もあり充分に存じ上げていたしそのまま過去作も履修しようと思ったのだが如何せん残念な事に最寄りのレンタルショップに揃いも揃って取扱がなかったのだ。

 

そしてそのまま忘れてしまい半年が経つ頃、その瞬間はやってきた。

「あーそういえば、これ見たかったんだよなあ」

ソーシャルゲームをやりながらその片手間にでも垂れ流す作品を探していた筈なのに、冒頭から「5つ数えれば君の夢」の世界に入り込む、文字通り"夢中"になってしまっていた。

 

題名通り、オールタイムベストに入ったと書いてあるがパッと思いつく限りでのマイオールタイムベストは

「第三の男」

悪魔のいけにえ

「劇場版アイカツ!

~ここまでぶっちぎり~

サスペリア」(Part2も好き)

「帝国の逆襲」

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド

ファイト・クラブ

スパイダーマン

死霊のはらわた2」

ブレードランナー

「ファニー・ゲーム」etc...

といったようにまあ疎い人でもタイトルだけで分かるだろうがジャンルで言うとホラーに属したり所謂「秘宝系」の映画ばかりなのである。だからこそ、「5つ数えれば君の夢」(以下5夢と称する)がランクインする、それもかなりぶっちぎりラインの上に、という事実が余計に浮き彫りになるのだ。

(かと言ってキネ旬系の映画も興味がないわけではない。そもそも岩井俊二監督なんかは大好きだし(記憶が確かなら)関西ローカルのニュース番組で山戸監督が影響を受けた監督として岩井監督を名前に挙げていたので興味を持ち溺れるナイフも見に行った)

 

しかし、映画としては「秘宝系」が好きな私であるがTwitterアカウントを見てもらえば分かるように私は「百合」というジャンルが大好きなのである。

百合を追い求め、様々なアニメや漫画、小説を摂取してきた。しかし、しかしだ。

 

映画で百合を観たのはこいつが初めてだし、なんなら、こいつを越える百合映画なんて今後一生登場しないのではないだろうか。私の好みのド真ん中をぶち抜いてきた、最強の映画だ。

 

ここで「5夢は同性愛の映画じゃないから百合じゃない」とか「アデル、ブルーは熱い色」とか「キャロル」とか「お嬢さん」とかあるじゃないか、とか、「百合とレズってどう違うんだよ」とかそういう指摘が出てくるかもしれない。

ここで引用させて頂きたいのがこちらの百合展2017における私が敬愛してやまない作家綾奈ゆにこ先生の序文である。

 

 

 「百合」って何だろう?未だ漠然としています。女の子が二人いれば百合―――恋愛感情に限らず、友情や愛情、嫉妬、憎しみといった強い感情がともなえば百合だと個人的には思っていますが、断言は出来ません。それぞれが百合だと思ったものが、百合です。 

私は、5夢は百合だと思った。

と、言うわけで百合レズ論争はここまでにしておいて以下、私が「百合としていいと思った部分」と「映画としていいと思った部分」の2パートに分けて烏滸がましいようではあるがこの作品への賛歌を捧げたいと思う。

 

1.映画としての5つ数えれば君の夢

まず、「溺れるナイフ」が先述したように「ティーン向け商業映画」の枠組みをぶっ壊した映画だとするならこちらは「アイドル映画」の枠組みをぶっ壊した映画であるという点抜きには語ることは出来ないだろう。

昨今のアイドル映画と言えばマイナスイメージが付き物で、凡百のB級ホラー映画なんかを想像しがちである。しかし山戸監督はDVD特典にてこう言ってのけた。

 「女子流さんの今の輝きを封じ込めた映画」

「映画は一瞬を切り取るもの、今輝いてる人たちを使えるのは不利ではなくアドバンテージ」

そうして出来あがった映画はまさしく「あの頃の女子流さんたちにしか出来ない、高校生の文化祭の一時」を描いた作品だった。

しかしこの作品を映画オタクの友人に勧めた所「演技が下手だった」と言われた。けれど私はそうは思えない。

女子流さんたち、特に委員長を演じる中江友梨さんや、りこを演じる新井ひとみさんの少し舌足らずで、確かに下手とも捉えられうるかもしれないその演技に監督の手腕が光る独特の詩的な台詞回しと実在性のある会話が合わさり奏でられるハーモニー。これは本当に一歩間違えれば私も「演技が下手だった」と評する側に回っていたかもしれない、絶妙な均衡の上に成り立っている奇跡的な映画だ。

更に言うと、新井ひとみさん、顔が良すぎる。ぶっちゃけ超好み。この作品にハマった別の知人も庄司芽生さんのオタクになるかもしれない、と言っていたし「アイドル映画」としても大成功を(自分の周りでは)収めている。

 あと都を演じる小西彩乃さんが「香川照之」「ゆれるのラストとか出来そう」って言われてたのがツボでした。

 

さて、それではちゃんと具体的な所に踏み込んで話をしてみよう。

まず冒頭4分程の画面こちら側に向かってスプリットされた画面で歩いてきて「監督 山戸結希」と出てくる所。この時点で尋常じゃない雰囲気が漂っているし、これ以降スプリットは3度出てくる。2回目はタイトルバックの前、3回目は寝起き(ここは各キャラの特徴が出てて面白い)そして4回目はりこがプールへと飛び込むシーンだ。

その4回目のシーンの白眉っぷりったらもう筆舌に尽くしがたいモノがある。この映画、名シーンは山程あるが私はこのシーンが一番好きだ。中野サンプラザ前でカメラワークがぐるぐると回りながら、コメンタリーにてどちらの発言か忘れたが「告白ですよね」と言わしめたあのシーンも捨てがたいが、やはり私はこのシーンを選ぶ。

あれは青春の通過儀礼(イニシエーション)でもあり、りこは「向こう側へ行けた人間」(ちょうど画面の奥に配置されている)でさくは「飛び込めなかった側の人間」として描かれているのも圧倒的に正しい

そういうメタファー繋がりで言えば電車は日常のメタファー、後半ヘリの音がするのはそこから非日常になることを告げる鐘の音であるわけだが、宇佐美が高木くんにおセッセに誘われる後ろで電車が走っているのは挿入のメタファーなのかなあ等とも思った

 

さて、次にその「実在性」だ。この映画を観ているとあたかも「自分も女子高生になれる気がする」くらいに女子高生の実在性を浴びる事が出来る。実を言うとこれが私がこの映画に惹かれる最大の理由かもしれない。

これはメイルゲイズの入った、男として生を受けてしまった私には絶対に描く事の出来ない、女性監督だからこそ、それも山戸監督にしか切り取れない一瞬だろう。

現にオーディオコメンタリーで監督はこうも言っていた

「女の子だけの環境ってみんなが女の子というよりも役割分担、相対化されてつながる。委員長は女の子っぽい。大学とかに入ると一瞬でそれはなくなる。普通に適応する。社会化。消えてなくなってしまうたぐいの痛ましさ」 

 女子中学生でも、大学生でもいけない「女子高校生の一瞬」なのだ。

他にも、コメンタリーにて対談していた柚木麻子先生は

 後ろの生徒たちの実在感。ひとりひとりにドラマがありそう

 普通他の映画じゃ机を上にひっくり返すのなんて描かない(空き教室に机を集める時なんかに机の上に机の足を上にして乗っけたりするアレの事です)

等と評していた。それほどまでにこの映画の持つ「実在性」は凄まじいのである。

それと、委員長が抱くジェンダー感、兄への感情も監督のセンスが光りに光りまくっている。委員長の詠むポエムの殺傷力も中々。

 

あとはなんと言っても欠かせないのが3つの軸が交わり爆発する、最大の見せ場と言っても過言ではないあの文化祭でのダンスシーンだろう。

「宇佐美のために生きる、ピアノなんて絶対弾かない」と言っていた都

「意中の男性に見て欲しくて花を手入れしていたが、りこのために花を刈り取り、舞台の演出のために全て投げ捨てる」さく

「ひたすらマイペースを貫き、踊りたいままに踊る」りこ

言わずもがな作中屈指の名シーンでありクライマックス最大の盛り上がり、並行していた3人の感情が発露する時、この映画は最大のエモーションをこれでもかと言う位に叩きつけてきた

 追記:午前十時の映画祭で「アンタッチャブル」を見に行くに当たって思い出したのだが同監督ブライアン・デ・パルマ作「キャリー」はもしかしたらこの映画の下敷きにあるかもしれない

ティーンの女子高校生が主役、スプリットカット、ぐるぐる回るカメラアングル、そしてクライマックスに向けて積み上げてきたものが発露する学園祭。監督自身に尋ねてみたいものであるが、山戸監督とデ・パルマ...正反対なような気がしてならない

 

2.百合としての5つ数えれば君の夢

本作には2CP(カップリング)が登場する。「りこ×さく」と「宇佐美×都(というより都→宇佐美)」である。推しカプはりこさくです。

先に都と宇佐美の話をしておきましょう。

完全に都(ヤンデレ)→宇佐美→高木くんっていう構図になってるんですが途中から高木くんがぜんぜん出てこないので「高木くん、都に暗殺された説」がファンの中で出回ってるとコメンタリーで聴いて爆笑した。けれどそれほどまでに都→宇佐美の感情量はバカでかい。

一番好きなのは

「宇佐美、宇佐美、宇佐美、宇佐美都になりたい…」

「みが2個になってるよ、みみになって語呂悪い」

 というやり取り。凡人には思いつけない台詞回しのセンス。山戸結希の感性に平伏せ

かといって、これまたコメンタリーからの監督の台詞の引用になるが

「親しい関係になっても一瞬でなくなっちゃう、女子校の人って」

と、言う事でこれがもう破茶目茶に分かってしまって「百合のセンスありすぎる...」とまたまた何度目か分からない平伏を繰り返した。

百合のオタク界隈ではこの事を「思春期の一過性の感情」とよく形容する

都は普通に結婚してママになったらその情熱をママ友との争いに費やす

みたいコメンタリーも「うんうんそうなんだよな~~~」と首がもげるほどに頷いてしまった。

 

さてよっしゃ、ついにりこさくの話をするとしよう

マイペース天才肌の主人公が地味で内気な女の子を連れ回す、という超王道CPながらも

「君の美意識が好き」

だの先述した「実質告白」なパワーワードが飛び出してくるのでたまったもんじゃない

あと都とさくの会話の

さく「別にりことなんか仲良くねーし!」

都「強い否定って、肯定だよね」

なんてやり取りなんかも是百合見突起100回押しましたね...

というかりこさくは本筋を追っていく上で欠かせない重要なファクターなのである

最初は花屋のお兄さんが好きだったさく

それが次第にりこに感化されていき、途中では夜だった事も相まって花屋のお兄さんにどうしようもない男性性から来る恐怖を感じ取ってしまい、結果、お兄さんに見せたかった花を刈りりこのために費やすのである

 

そしてなによりラストのモノローグ

「あなたに、恋をしていました」

それだけでもヤバいのに、さくは髪型も変わってて、宇佐美たちにホースで水ぶっかける位マイペースになってて、完全にさくの中にりこは宿りまくっている

そして、花壇に植えていた花、向日葵

花言葉は「私はあなただけを見つめる・愛慕・崇拝・あこがれ・情熱・光輝」

見終えてすぐ「絶対これ花言葉に意味があるやつだ(花言葉の引用も百合作品ではよく行われます、百合って言うくらいだし。そういうこちら側では当たり前の文脈を知らずしらずのうちに回収してしまっている監督が本当におそろしい)」と思って検索をかけた結果がこれだよ。死ぬかと思ったわ。

 

総評

監督自身「百合っぽいとよく言われる」と仰っていたのだが私は「最初から百合前提で作る百合よりも主軸がちゃんとあってその結果、過程に生まれてしまった百合こそ最強の百合」という持論があり、本作は正しくそれである。

しかし単なる「百合映画」「アイドル映画」の枠組みに留まらず山戸結希という作家のセンスオブワンダーと東京女子流という演者の魂が呼応し完成した、何度も繰り返すようでしつこいが「奇跡のような映画」である

この映画は19の私に原体験として一生強く刻み込まれる爪痕を遺して行った。良くも悪くも、さくがりこに影響を受けたように、私は一生この映画に振り回される事になるんだろう、そんな映画だった

だから、居てもたってもいられなくなって、何故か数ヶ月ぶりにこうして筆を取る羽目になってしまった。しかしどうやら5000文字を越えるこの記事、筆の勢いは留まる事を知らず、体感時間一瞬のうちにして書き上げてしまった

 

「5つ数えれば君の夢」を受け取ってしまったからには。

そうせざるを得ない、それほどまでに人を動かす衝動、熱意に当てられてしまったからには、私にはこうすることしか出来なかった。